雨の日とボロボロの教科書

出された温かいお茶を、ふうふう吹きながら飲んで人心地つきます。芯まで温まっていくのを感じていた私は、ボーッと彼のことを見ていました。

私は丸椅子に座って、熱い湯飲みで手を温めています。その間に彼は、職員室中の先生に掛け合ってくれていました。そして、ナイロン製やらビニル製で、ちょうど良い大きさの袋を、いくつか確保してくれています。

そっか。特待生だし、理事長の親戚だから普通の生徒とは違うんだ。なんて漠然と考えながら彼の所作を眺めていました。

やがて、彼がこちらに向かって歩いてくるのがわかったため、ふと視線を反らしてしまいます。

「ちょうどよさそうなのが見つかったよ」
差し出されたいくつかの袋は、どれも大きさも耐久性も十分そうです。

これらを集めるのに、あちこちで先生と掛け合ってくれていたのを私は見ていました。

「本当になにからなにまで、すみません。センパイ」
「いいって。気にしないで」

ニコニコと笑みを浮かべて、私の正面の椅子に腰を掛けました。

一冊ずつ丁寧に、時折残っていた土を払いながら袋に教科書を詰めていってくれます。慌てて湯飲みを机の上に置いた私は、別の袋に教科書を詰めることにしました。

「そういえば、センパイって絵が上手なんですね」

沈黙になりかけていたので、何かを話さないと、と思って口から出たのがそんな疑問でした。
「ああ、ありがとう。趣味というか、ちょっと好きな分野なんでね」

「絵がお好きなんですか?」
「うん。あ、でも芸術とか絵画じゃなくって、アニメイラストとか書いたりするのが好きなんだ。ああ、アニメって言っても萌え系じゃなくって」

「はい、わかります。あのチェックシートの絵をみてても、ちゃんと技術を磨いている人なんだってわかりましたし」
「へえ、わかるの?」

「ええ。私も好きで、ちょっとかじってるんです。将来もイラストデザイナーとかになれたらなあって」

そこまで言うと、彼は袋に教科書を詰める手を止めてこっちを見つめてきました。
「同じ趣味の人がまわりにいなかったから、うれしいよ」

キラキラとまぶしい笑顔で彼は言います。散々お世話になった人が、こうも喜んでくれると私も嬉しくなってきました。

「もうちょっと早く出会えたらなあ。ゆっくり話もできたのに」
そういえば彼は3年になります。卒業まで1年しかないし、受験でゆっくり遊んでる暇もないのでしょう。

もうすこし早く出会えたら、もっといろいろと充実した高校生活が過ごせたのかなと思うと、悔しい気持ちになりました。

反面、あと1年もあるという気持ちもあって、これからのモチベーションにもつながりそうです。

「そういえば、頭が良いんですよね?」
「んー、どうだろうね。成績は悪くないと思うけど、頭が良いとは違うと思うんだよね」

一瞬、彼が言っていることが理解できませんでした。ついこの前まで、偏差値や成績がどうこうと責め立てられていた私には特に。

「記憶力が良いってだけで、頭が良い人ってのは回転が早かったり、芸術的センスがあったりとか……そういうことじゃないかな」
ああ、なるほど。確かにそう考えることもできる。

「勉強、勉強ばかりじゃつまらない人間になっちゃいそうでさ」
成績が良い人が言うと、普通ならカチンときそうです。

しかし、私はこの短時間で山のようにお世話になっているので、相当な武澤教の信者になりつつありました。

紳士的とでも言うのか、彼にはいやらしさのない、落ち着きのある優しさがあります。それまで、そんなものを異性から受けたことがない私は、十分に舞い上がっていたでしょう。

「ちなみに、彼女さんも頭が良かったりするんですか?」
つっこみすぎないように気をつかいながら、聞きたかったことを尋ねます。

「ん? 彼女なんていないよ。それどころじゃなかったしね。この時期に彼女は作れないよ」

それどころじゃないというのがどういうことかはわかりません。ですが、これから受験で忙しくなるときに、恋愛なんてしている暇はないのでしょう。

しかし、これは私にもチャンスがあるという風に解釈しました。1年あれば、なんとかお近づきぐらいには……きっと。

すっかり身体も温まり、丈夫な袋ももらえたのでそろそろおいとますることにしました。彼に感謝と別れを告げて、職員室を後にします。

これからの高校生活が楽しみになる出来事でした。

そうして新学期が始まり、何日か経ちました。

何度か3年の教室に足を運ぶものの、教室に足を踏み入れることはおろか、誰かに質問することもできずにいました。

仕方がないので仲良くなったクラスメイトに尋ねることにします。
「ねね、3年の武澤センパイって知ってる?」

「当たり前じゃん。超有名だし」
「どこのクラスかわかる?」
「いやあ、わかんないなあ。ユリが詳しいと思うけど、聞いてみる?」

ユリというのはクラスメイトです。しかし、引っ込み思案な私と、社交的な彼女を繋ぐものは特になく、席も遠かったので仲が良いというわけではありません。

「あ、うん。お願い」
そう言って彼女はユリの名前を呼びます。しばらくしてユリが私たちの机まできました。

「あのさ、武澤センパイってどこのクラス?」
そう友達が尋ねます。
「ん、3年の?」
「そそ。理事長の親戚の」

そうして返ってきた言葉に、私は耳を疑いました。
「留学したよ? 確か絵の勉強をするとかで。ドイツだったかな」
「マジでー! 留学とかマジやばくない」

と言ったのは友達で、私は頭の中が真っ白になってしまいました。

私とじゃ釣り合いもとれないし、彼女なんて大それたことは思ってなかったけど、せめて同じ趣味を持った友達として、というイメージを膨らませていました。

そりゃあ、あわよくば……という魂胆がなかったと言えばウソでもないけど。付き合うとかそういう感情はまだなかったし、単純な憧れが強かったと思います。

それからと言うもの、せめて、ちゃんとお別れが言いたかったなあという思いが、頭から離れたことはありませんでした。

先生に事情を話して、お礼の手紙を出したいと伝えると、理事長経由で連絡先がわかりました。

中身はともかく、宛名はドイツ語で書く必要があるので、なんだか見慣れないスペルを一生懸命に書いて手紙を送りました。

それから、手紙の返事はありません。
確かにちょっと会っただけですし、わざわざ手紙でお礼を書くことではなかったかもしれません。

そもそも私のドイツ語が読めなくて、ちゃんと送れていない可能性だってあります。でも、やれることはやったんだからと後悔はありませんでした。

あの日以来私は、いちど濡れてシワシワになった教科書を見る度に、センパイのことを思い出してしまいます。

私の小さな小さな恋のお話です。

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