「ササオカ、マジありえなくない?」
クラスメイトの女子ふたりが、コソコソと話しているのが聞こえた。このふたりはクラスこそ同じだけど、別の国というか、別の島というか、接点がない近所の人という感じ。
話し声は聞こえてくるけど、聞こえないフリをして、私は走りつづけることにした。
私の高校では、毎年冬に、全学年を対象にした、マラソン大会を行なう決まりだった。ふたりは体育の時間に割り当てられた、マラソンの練習に対して文句を言っていたのだ。
そもそも私たちにとって、長時間走るという行為は、非日常だと思う。
普通の女子高生は、こうした授業でもないとマラソンなんてしない。急に非日常を強いられて、不満をぶちまけたい気持ちはよくわかる。
でも私は、そうやって陰口を言うのが好きではなかった。
良い子ぶるとかじゃなくって、なんか情けない感じ。
「森! 遅れてるぞー」
体育教師である笹岡センセイの声が、グラウンドに響く。
大柄なセンセイの声は、グラウンドの端から端まで響くほど大きい。トラックを回っていた私は、必然的に気が引き締まる。
ちなみに、いま怒鳴られたのは私ではない。
森加奈は中学が同じで、一年と三年の二年間同じクラスだった。とはいっても、彼女は一年の後半からほとんど登校していなかったので、ほとんど一年間の付き合いだ。
性格も真逆なので仲が良いワケではない。しかし同じ中学出身は彼女と私だけなので、さっきのふたりよりかは幾分距離は近いと思う。
中学一年のとき、彼女はあまり喋ったりしない、暗いクラスメイトだった。ただ、それがよくなかったのだろう。
他の人は普通に会話をする。そして急速に輪を形成していった。そんな中で自分から行動しない彼女は、いずれの輪にも入ることができなかった。それが悪化した結果、彼女はからかわれる対象になり、やがていじめられる対象となった。
私はいじめに加わらなかったけど、彼女を助けることもできなかった。彼女がいじめられている様をみて笑うことはなかったけど、怒るわけでもなかった。
ただの傍観者だ。
そして森加奈は不登校となった。
これは後々につづく彼女の人生で、大きな汚点になるのではと思ったのは、私の進路が決まったときのことだ。
「森がおまえと同じ高校に行くことになったんだが」
という担任の言葉が、それまであまり意識してなかった森加奈のことを、深く考えさせるキッカケとなった。
ていうか、不登校の生徒と同じ高校って、どんだけ頭悪いんだ私。
私の三年間の成果と、彼女の一年ちょっと(?)ぐらいの成果がイコールらしい。劣等感というか悔しいというか情けないというか。私なりに頑張ってきたつもりなので余計だった。
「同じ中学のよしみってことで、仲良くしてやってくれないか?」
「んー、まあ別にいいんだけどね。あの子あんま喋らないから、私と仲良くしても、他の子と仲良くなれるかわかんないよ?」
そんなこんなで、森加奈と私は、同じ高校へ通うことになった。
奇跡的に同じクラスになったので、必然的にセンセイから受けたミッションが頭を過ぎる。そして入学式から何度かアクションをかけてきたが、あんまり成果はない。
なんかゴメン。センセイ。
私たちはもうすぐ二年になる。クラス替えもするみたいなので、今度は別のクラスかもしれない。そうすっと仲良くなる機会がますますなくなるなあ、なんて言い訳を考えていたときだった。
「日村ー! ボサっとすんな」
笹岡センセイの照準が私に合った。背筋を伸ばす。ボブカットの髪をセンセイから見える方だけ掻き上げる。笑顔でセンセイに手を振ってみる。センセイは顎をしゃくって前を向くように促した。
笹岡センセイは大柄で強そうな見た目に反して、実は結構優しい。男女共にいやらしくない優しさと抱擁力を示す。そんな理由で普通の生徒には人気がある方だ。
しかしながらセンセイはバツイチの子持ちだ。そのことが一部の「自意識過剰女子軍団」から不人気の理由となっていた。つまり、さっきのふたりのような人たちだ。
なんか男として欠点があるからバツイチなんだろうとか、うがった物の見方なのだ。じゃあ、あんたたちはどんだけ立派なの? って私は思うので、彼女たちとは仲良くない。
離婚なんて男女間の問題なんだから、他の人がとやかくいうべきではない。文句を言って良いのは、センセイの一人娘であるアヤちゃんぐらいであろう。
このアヤちゃんが、これまたよくできた娘さんなのだ。
近くの小学校に通う三年生のようだが、弁当を忘れたセンセイのために届けにきたことがあった。学校が終わってすぐ来たのだろう。道中を想像するだけで微笑ましい光景だ。
アヤちゃんの育ち方を見ていれば、センセイに大した問題はないように思えた。
そういった、センセイの人柄を目の当たりにしていた私は、離婚の原因は母親の方にあるんじゃないの? と思っていた。その考えがまた「自意識過剰女子軍団」との溝を深くさせる。
とはいってもトラブルが嫌いな私は、何事も穏便に済まそうとする傾向がある。表だって牙を剥いたりすることはあまりない。
表面上は大人しくしていたり、波風が立たないようにしたり、目立たないようにしたり、従っているフリをしたり、という生き方に長けていた。
森加奈のいじめ問題のときもそんな感じだったので、自分を景色と同化させるのは得意だと自負している。
本当に情けない話だ。
でもそれが私、日村優花なのである。