いや、アメトーークは好きなんですよ。
数える程度の番組しかテレビを見なくなってきましたが、アメトーーク(深夜帯)は欠かさず見てきました。アメトーークきっかけで興味を持つようになったコトもいくつかありますし、企画や構成と演者さんの頑張りによって、素晴らしい回がたくさんありました。視聴者からの評価も高かったので、日曜ゴールデンにも進出できたのでしょう。
「日曜もアメトーーク」が始まってからしばらく経ちましたが、最初の1、2回目ぐらいで「ん?」と思ってしまいました。しばらく見続けてきたものの、やはりその違和感は拭えないままです。今回はその辺りを分析していこうと思います。
■日曜もアメトーークの問題点
深夜帯と時間帯が違いますし、視聴者の層が違うのも理解できます。どちらかというと、それまでコアなお笑いファンがメインターゲットだったのに対して、普段はお笑いを見ない人も見られるようにしなければいけないというのもわかります。
すぐにSNSなどで騒がれる時代ですから、企画や構成、コメントをマイルドに仕上げなければいけないのもわかります。
でも、バラエティでつまらなかったら意味はないです。なんというか、全体的に「わざとらしい」んです。視聴者をナメてるとしか思えないようなデキなんですよね。とても残念です。
■テレビはドキュメントではない
たしかに最近は「テレビ=真実」という捉え方をしてる人が増えてきました。ネタとヤラセの区別もつかない人が多くなってきました。
しかし、ドキュメントを謳っている番組であっても「編集」と「台本」がある以上は、すくなくとも視聴者が期待しているようなドキュメント性はありえないはずなんです。
問題のあるシーンはバッサリと切ってなかったことにしてるでしょうし、あらかじめ設定されている流れが台本と共に知らされているはずです。そして大まかな流れの間に、演者さんたちがアドリブを込めていくという作りのはずですよね。
たとえ「密着!警察二十四時」的なドキュメントを謳っている番組でも、番組側に都合が良いように編集されて繋ぎ合わされています。それを「本当の話だ!」と思っている視聴者がいるわけですね。
■タネが見えたマジック
日曜もアメトーークに限った話ではありませんが、最近の番組は編集前提で作成されているように感じます。何度も言いますが「わざとらしい」のです。言い方を変えれば他にも「あざとい」「手抜き」「浅はか」「みえみえ」という表現もあるでしょう。
うがった見方かもしれませんが、「このテロップコメントを入れたいので、こういう動きをしてください」といったように、細かすぎる指示があるように見えてしまうのです。だから、テロップを入れても「わざとらしく」感じでしまうのでしょう。
テレビでマジックをやっていても、幼児以外の視聴者は誰も「魔法だ!」なんて思いません。バラエティでも台本や編集などの仕掛けがあることはわかってるんです。だからこそ、わからないようにして欲しいんですよ。
何回か前に放送していた「運動神経悪い芸人」に、回転する竹刀をタイミングよく飛び越える企画がありました。あの企画自体、初回ではかなり笑いましたよ。一番笑ったのは竹刀を飛び越えていくのですが、やがてスネに直撃し、倒れ込んでしまいます。その後回転してきた竹刀が股間を直撃するというシーンです。見たことがある人も多いでしょう。
しかし、日曜もアメトーークが始まってすぐ辺りに放送した「運動神経悪い芸人」は悲惨でしたね。特に回転竹刀の企画で、1回目と同じようにスネに当たって倒れ込んだ後です。1回目と同じように股間に当たらなかったので、倒れたまま自分から当たりに行っていたシーンが放送されていました。
1回目の竹刀が面白かったのは、ある種の「事件性」を感じることができたからです。記憶が曖昧なのでその芸人さんの名前は挙げませんが、あれは編集でカットするべきシーンじゃないですかね。あれを見た瞬間に覚めましたし萎えました。
そもそもあれで「いける」と思ったスタッフサイドを蔑視すらします。